ここは鹿の台所 飛火野ってな~~に? 永久に続く幸福の地 eternal happiness.

ここは鹿の台所 飛火野の草原!

ここは奈良公園の一角に位置する飛火野。ながい草が見えない緩やかな起伏が広がる。

奈良の昔話 奈良編 増尾正子著によると

「奈良公園といえば、殆どの人が、春日山の西藤一帯に

緑の絨毯を繰りひろげたような飛火野、浅茅ケ原、片岡

(丸窓) の梅林辺りを連想するだろう。

この辺りを総称して春日野と呼ぶ。

奈良時代、春日野は、神を祀る神聖な地であり、大宮人の野遊びを楽しむ別天地でもあり、天皇が鷹狩りをされる場所でもあったようだ。

天平勝宝三年 (七五一) 光明皇后が、遣唐使として旅立つ甥の藤原の清河に贈った歌に

大船に真楫繁貫き この吾子を

韓国へ遣る 斎へ神たち

と無事を祈られた。これに対して清河は、

春日野にいつく 御室の 梅の花

さかえてありまて 還りくるまで

と、春日野に咲く梅の花に託して、自分が帰ってくるまで、栄えて待っていてはしいとの返歌をしているが、この願いも空しく、清河は唐で病死した。

昭和五十八年(一九八三)飛火野から、奈良時代から平安初期と思われる、祭礼用の須恵器や土器、土馬の破片が出土した。

飛火野に円錐形の盛土があるのは、祭礼用具を埋めて盛土をしたものだろうと言われている。

実際歩いてみると、なだらかに見える飛火野には意外と起伏が多いことがわかる。

昔、野守が狼煙を上げたというところから、飛火野と呼ばれるようになったという。

春の野に すみれ採みにと 来しわれそ

野をなつかしみ 一夜寝にける

という山部の赤人の歌や、作者不詳の

春日野に煙立つ見ゆをとめらし

春野のうはぎ 採みて煮らしも

などという歌には、寒く厳しい冬が終わり、緑が萌え出してきたのどかな春日野の風景にあこがれた万葉人の心がしのばれる。

」(ここまで増尾正子著)

と読まれ、万葉人の面影を知りてなお歴史の流れを懐かしめる。

果たして奈良を訪れる人々に、このような飛火野のいわれを知る人は数えるくらいであろう。

現代人が心癒やされる飛火野に足を踏み入れられるのも雑草一つない野遊びが楽しめることにあるのだろうか?

鹿を愛する人たちは、この地が鹿の台所と呼ぶ。

春ののどかな早朝に、鹿たちが群れをなしゆっくりと草をついばみ、足を休め食べた草を口で熟している。鹿せんべいやドングリより日常食だw。

鹿たちにとっては、春に芽を吹き出した新芽はごちそうなのだ。

ただ気をつけたいのが「しかのふん」なので、大盛りに足を触れないようにご注意を!

このしかのふんも、自生する昆虫たちによって分解され、循環サイクルして草の肥料になる。




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